mikami

2006-02-04

文字符号の歴史 アジア編へのコメント集

続編刊行のニュースをきっかけに,拙著「文字符号の歴史-アジア編」への書評,コメントや引用を調べて見た.
  1. 産業技術総合研究所の戸村哲氏による刊行直前の紹介記事,2002年2月27日
    http://tsukuba.m17n.org/mule-ja-archive/2002-2/msg00014.html

  2. 加藤弘一氏による書評,2002年3月頃
    「役に立つ立たないにかかわらず、本棚の飾りでもいいから、本書を買って、著者の労と採算を度外視して上梓に踏みきった出版社の心意気に酬いるべきだと思う」とのコメント.著者も「採算度外視で上梓」に踏み切っていただいた共立出版に心から感謝している.
    http://www.horagai.com/www/book/read/rd2002b.htm#R026

  3. 師茂樹氏による書評,『漢字文献情報処理研究』第3号,2002年10月
    http://www.jaet.gr.jp/jj/3.html

  4. 大川出版賞受賞,2002年11月28日
    http://www.okawa-foundation.or.jp/okasyu/okasyu_j/j_2002.html

  5. 市川明彦氏(日立グローバルビジネス推進センタ長)のNIKKEIネット時評,「言語処理の共通化、標準化こそデジタルデバイド解消の為の出発点」,2002年12月16日

  6. 田代秀一氏による書評,『情報処理』,2003年5月
    http://fw8.bookpark.ne.jp/cm/ipsj/search_test.asp?flag=6&keyword=IPSJ-MGN440527&mode=PRT(有料です)

  7. WEB大学出版53 <製作の現場から[28]> 「文字体系とデジタルデバイド」
    http://www.ajup-net.com/web_ajup/053/seisaku28.html

  8. Mac OS Xと日本語タイポグラフィ
    http://www.apple.com/jp/pro/design/typography/02/index2.html

  9. moji>文献>書籍:文字編>コード
    このコーナーは,文字・組版・印刷についての書籍・雑誌,出版社・図書館など,あらゆる文献情報へのアクセスガイドですが,ここで「アジアには多数の文字体系があり,文字コード開発が難しいものも多い。現在も進行中のその努力の足跡を印刷など文化的背景とともに解説」として,基本文献であることを示す★印を付して紹介されました.
    http://www.moji.gr.jp/bib/book-s.html#code
  10. Momokuri's Memo「マルチリンガルに真剣になると」,2005年7月6日
    http://blogs.da-cha.jp/momokuri.php/2005/07/06/p124#more124

国立情報学研究所運営のWebcatで収蔵図書館を調べたところ,157の大学図書館に収蔵されていた.トップに登場する"BL/APAC"は日本の大学ではなく,大英図書館の"Asia, Pacific & Africa Collections"である.本当かなと思って,念のためCambridge大学図書館の"Japanese Union Catalogue"でも検索してみると,やはり,"Holding Location(s) = BL/APAC"であった.いつの日か英訳したいな,とは思っているのだが,BLから借り出して読んでくれている読者はいるのだろうか?
14:59:23 - Mikami - mySQL error with query SELECT COUNT(*) FROM nucleus_comment as c WHERE c.citem=568: Table './nucleus/nucleus_comment' is marked as crashed and last (automatic?) repair failed

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2006-02-03

「文字符号の歴史」の続編が出るらしい

Hatena::Diary > Cafe Babeの1月27日付け記事によると,拙著「文字符号の歴史-アジア編」の続編が出るらしい.続編は「欧米及び日本編」である.京大の安岡先生ご夫妻が執筆中であるとは,共立出版の編集者である浦山さんから聞いてはいたが,ついに,である.拙著は1200部を刷ってほぼ在庫はなくなりつつあるとのことだが,続編刊行にあやかって完売してくれるとありがたい.しかし,その前に,ほったらかしになっている間違い訂正をしなくては・・・

04:39:17 - Mikami - mySQL error with query SELECT COUNT(*) FROM nucleus_comment as c WHERE c.citem=566: Table './nucleus/nucleus_comment' is marked as crashed and last (automatic?) repair failed

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2005-03-02

電気通信大学の歴史資料館

今日は電気通信大学で情報処理学会の全国大会があり、初日の今日だけ参加してきました。招待講演で、いつかもこのBLOGページで紹介したブルガリア大使のSendof氏の講演がありました。デジタルコンピュータの元祖アタナソフ博士についての紹介です。

そのついでに、かねて訪ねて見たかった電気通信大学の歴史資料館にいってきました。もう一人の招待講演者であるIEEE Computer Societyの会長とその一行も見学に来ていました。建物は立派ではありませんが、中身はさすがに電通大です。総合研究棟のワンフロア程度の面積に所狭しと明治以来のものがおいてあります。大手町の逓信博物館もいったことがありますが、古いものでは向こうの方が立派なものが多いですが、一貫した流れのコレクションを持っているという意味では貴重な存在だと思います。コンピュータについてもこういう資料館がほしいものです。

2003年8月号の「情報処理」に和田英一先生が米国のコンピュータ歴史博物館(Computer History Museum)が移転し見学が楽になる(昔はカリフォルニア州のモフェット空軍基地のそばにありましたが、今度はシリコンバレーに移ったようです).「1401番地の住所が泣かせる」と書いてあります。なぜ泣かせるのかわかりますか?

三上は歴史資料館で邦文モールスの歴史に関する資料をいくつか探してきました。いつか紹介しましょう。「文字符号の歴史」を書いたとき以来懸案になっていた不明点がいくつか解消されました。

三上喜貴、2005年3月2日

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2005-01-22

文字符号の歴史|番外編|クメール語タプライターの開発者Keng Vansak氏のこと

突然テレビからケン バンサクという名前が・・・

既に本書の最終校正も何もかも終えた2002年2月のある日、何気なくテレビのチャンネルを回していたら、突然「ケン バンサク」という名前が耳に飛び込んできた[1]。画面では、書斎の本棚を背にしてフランス語でインタビューに応じる老人が故国カンボジアについて語っている。………間違いない。クメール語タイプライターの項(2.2.8項、84頁)で書いたケン・バンサク氏だ[2]。生きていたのだ。フンセン氏がフランスを訪問したとき帰国許可を要望したが断られたと嘆き、望郷の心を語っていた。

翌日、ネット上で"Keng Vansak"を探した。英語のサイトにそれらしきものが二件、フランス語のサイトには、Réflexions sur la littérature khmèreと題する1968年に書かれた氏のエッセイなどが掲載されていた[3]。筆者はフランス語を読めないが、Amikai等の翻訳サイトで英訳すれば問題はない。あらためて知ったのだが、同氏はプノンペン大学の文学部長であっただけでなく、戦後のカンボジアを代表する詩人であり、また、クメール語の改革者として著名な人物であった。Royal Cambodian Dictionary(本書の図4.29参照)に代表される伝統的な綴りに対して、1960年代に綴りの簡素化やサンスクリット語・パーリ語由来の単語を極力少なくする運動を展開したらしい。しかし、ここで余録を述べようとするのは、彼の開拓したクメール語タイプライターの鍵盤配列(本書の図2.19参照)のその後についてである。このデザインは現代のクメール語フォント製品にも引き継がれている。

文字コードの混乱

カンボジアでは、UNTACの時代(1993‐1994年)に大量のパソコンが持ち込まれ、変則的なかたちでコンピュータ導入がはじまった。筆者が始めてカンボジアを訪れたのは1996年の4月であるが、このときプノンペンの町のパソコンショップ風景をまずお目にかけよう。

後日図を挿入

JMKというのは当時一番大きなパソコンショップであった。UNTAC御用達のパソコンはほとんどJMKから調達されたという。しかし、言うまでもなくUNTACスタッフが使ったのはクメール語が扱えるパソコンではない。クメール語のテキスト作成は、もっぱら"KIO"と呼ばれるテキストエディターで行なわれたらしい。しかし、その後Windows上でクメール語を扱うための様々なフォント製品も現れた。Lemon、ABC、FK1等の製品である。このうち、Keng Vansak氏の開発したタイプライター鍵盤配列に最も忠実なのがFK1である[4]。しかし多数のフォント製品が流通している状況であるから、たとえばクメール語でメールを送ろうとするとき、以下のような質問に出くわすことになるのである。

Send a message in Khmer now !
Which font would you like to type in? Limon or ABC?

2002年2月14日 三上喜貴(2005年1月22日一部修正)

[1] NHK教育、 ETV2002、「亡命者たち」、2002年2月13日夜10:00~10:45放送。
[2] 筆者がKeng Vansak氏の名前を知ったのは、クメール語タイプライターの教則本である。同書に、Adler社製タイプライターの鍵盤デザインをしたプノンペン大学の文学部長として紹介されている。
Derek Tonkin: The Cambodian Alphabet: How to write the Khmer Language, Trasvin Publications, 1991, A reprint of "Modern Cambodian Writing, published in Phnom Penh in 1962.
[3] http://apsara2001.ifrance.com/apsara2001/Cambodge/reflexions_litterature_khmere.htm
[4] このあたりの事情は、電総研(当時)の田代秀一氏らが主催したシンポジウム"International Symposium on Multilingual Information Processing", 25-26 March, 1996, TsukubaにおけるRul Samphea氏(当時Cooperation Committee for Cambodia)の報告"Report on the General Situation on the Use of Khmer Language in Computers and Khmer System Writing of the Royal Kingdom of Cambodia"に詳しい。また、後日、International Institute of CambodiaのChhuon Chan Than氏からも教えていただいた。Open Forum of Cambodiaのサイトにも各種クメール文字フォントについての説明がある。
http://www.forum.org.kh/eng/

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2005-01-21

文字符号の歴史|番外編|ベトナムの文字文化

漢字と科挙

漢の時代から唐の時代まで、ベトナムの地は中国歴代王朝の支配下にあった。唐王朝滅亡後の西暦939年に呉権(ゴーグェン)が呉王朝を創建し、以降、フランスの植民地となるまでの900年余、黎朝・阮朝などが興亡をくり返したが、文化的には一貫して中国の影響を強く受けてきた。科挙制度もそのひとつであり、かつてベトナムの秀才ははるばると中国の都へ出かけて最終試験を受けていた。ハノイには文廟という史跡があるが、ここはかつて科挙をめざした若者たちの勉学の場であった。今でも歴代科挙試験合格者の名を記した石碑が多数残されている。

こういう歴史であるから、ベトナム語の語彙には中国語由来のものが多い。邪道かもしれないが、日本人がベトナム語の単語を覚えるのに、その漢字表現を思い浮かべると楽である。ホーチミンは胡志明だし、ハノイは河内、ベトナムは越南である。筆者は越漢辞典を1冊もっているが、ベトナム語の単語は越和辞典よりも、こちらで引いたほうが後で応用が利く。越漢辞典で調べた漢字が記憶に残ると、類似の単語を聞いたときに、音から漢字を連想することができるようになるからだ。日本の漢字の音は、それが導入された時代に応じて、漢音・呉音などがあるが、もっとも多いのは南方の呉音である。ベトナム語に導入された漢字音は、日本と同様、中国南方の音だから、日本人には好都合である。大学はダイホックというし、国語はクォックグーという。北京語では、前者はターシェ、後者はクオユィとなるが、ベトナムの音は日本のそれに近い。 宗教の面でも、中国の影響は大きい。東南アジアの隣国がすべて南伝仏教を信奉するのに対して、ベトナムには中国から伝来した大乗仏教が広まった。ハノイ市内にある仏教寺院は、禅宗系の寺院である。寺のつくりも東アジアのそれであり、パゴーダ中心の南伝仏教系の寺院のつくりとはまるでちがう。

字喃

こうした中国文化の影響下で、ベトナムにはチュノムといわれる漢字系の文字が生まれた。そのあるものは漢字そのものであり、またあるものは漢字と同様の形成原理に従って漢字を組み合わせてつくられた。チュノムは「字喃」と書くが、これは「字、南、口」を漢字の形声原理と同様の発想に従って組み合わせたものであり、「南方の字」を意味する。現在のベトナムでは、漢字や字喃は日常生活からすっかり失われてしまったが、古典や歴史研究のうえでは必須である。ベトナム国立社会科学センターには1979年に喃漢究研院が設置され、字喃資料の保存・維持管理にあたってきた(図4.20)。同研究所には約14000の字喃文書、黎王朝(981-1005年)から阮王朝(1802-1883年)に至る各時期に作成された石碑や銅鐸などの資料類が保管されている。これらの資料を電子処理する必要から、同研究所が中心となって原案を作成し、1993年に字喃文字符号規格TCVN 5713が制定された。これは、約6000字の字喃を収録したものである。

クォックグー(国語)

ラテン文字によって表記される現代のベトナム語を「クォックグー」(国語)という。この表記法の起源は、17世紀に宣教師たちがベトナム語をラテン文字で書くために工夫したものであり、正書法としてまとめたのはアレキサンドル・ド・ロード(Alexandre de Rhodes, 1591-1660)である。松本信弘[1]は、「(クォック・グーの)ローマ字は、フェイホにおける日本人居留民にキリスト教を宣布していた宣教師たちが、ローマ字書きにした日本語のキリシタン本を利用していたことにはじまる。アレキサンドル・ド・ロード神父はこれをさらに改良し、ベトナム語のもつ音調を表すことができるようにした。」と述べている。フェイホは(会安(ホイアン)の方が通りやすい。会舗または会庸と書くらしい)、ベトナム中部のダナンの少し南側、秋盆河の河口近くにある町である。当時、明が海禁政策を解除して、中国人の南海貿易が合法化されたこと(1567年~)、ベトナムが鄭氏・阮氏に分かれて争っており直接の交易がないために、ここにはポルトガルやオランダをはじめ、中国、日本の貿易船(御朱印船)が多数出入りする中継貿易港となっていたことなどから大いに栄え、また、「この町の商人・住人たちには出身国の習俗・法律に従う自治的な生活が認められていた。とりわけ、キリスト教を信ずることを外国人として公認されたのでキリシタン禁止令を逃れた日本人の渡来するものも多く、時には数百人にのぼったとみられている」[2]という事情があったらしい。「日本人橋」といわれる橋は、原型はないもののいまでもあり、そのあたり一帯は「日本橋街」と呼ばれているらしい。

民族独立運動のもとでの漢字排斥

当初はもっぱら宣教師が用いていただけにすぎず、漢文漢籍を教養の基本としていたベトナム知識人が取り入れるところではなかった。今世紀初頭の民族独立運動を主導した潘佩珠(ファンボイチャウ, Phan Boi Chau, 1867-1940)は「ヴェトナム人も従前漢学を尊んで、しかもまた君主専制の治下にあり、その君主はもっぱら科挙の文字をもってその人民を愚にした」と述べ、八股文・詩賦・訓古の学を「科挙の迷毒」とまで攻撃したが[20]、その彼も著書の大半は漢文で著した。彼は数度にわたって来日し、独立運動の同志を育てるために「東遊運動」とよばれる日本留学運動を組織したが、その呼びかけ文書ともいうべき『海外血書』(1906年)なども、原文は漢文で書かれたものであった*15。東遊運動の背景には、日露戦争後アジア全域に広がった日本熱という要因があったことはもちろんであるが、ベトナム人にとって日本を「同文の国」とする親近感があったことも見逃せないのではなかろうか。

フランス殖民地政府も、当初は科挙の学を奨励したが、第1次世界大戦にあたって戦場へ、あるいは後方の兵站へと大量のベトナム人動員を経験した後には、円滑なコミュニケーションの必要を痛感し、大戦終了後は、科挙を廃するとともに、フランス語を含む初等教育を開始した。高等教育の面でも、ハノイにはインドシナ大学が創設され、西洋式の教育が開始された。ハノイ大学のキャンパスには今も創立当時の校舎が残されているが、大教室の一方の扉には伝統的な中国的教養を象徴する「大学」の2文字と毛筆の絵がデザインされ、もう一方の扉にはアスクレピオスの杖に似たデザインが施してある。東西の知的伝統を受け継ぐ、という趣旨だったのであろう。

ホーチミン以降

こうしたなかで独立運動の新しいリーダーとなったホーチミン(1890-1969年)以降の世代のあいだでは、ラテン文字表記されたベトナム語が定着していった。1945年9月に独立を宣言したベトナム民主共和国は、正式にクォックグーを新生ベトナムの国語と定めた。独立後のベトナムは、フランスによる再侵略と対仏戦争、南北への分裂、米国の介入に対する解放戦争など、約四半世紀にわたる苦難の歴史を経て1975年に統一を成し遂げたが、統一後のベトナムにおいてもクォックグーが国語となった。

現在、ベトナムの日常生活から、漢字と中国語はいっさい姿を消した。寺院の中には漢字の扁額が残るが、チャイナタウンの看板と同様、多くのベトナム人にとってそれらは単なる装飾にすぎない。しかし、縦書きや音節文字の伝統はデザイン感覚として残っているらしく、ある寺院ではクォックグーを音節単位で組み合わせ、漢字風にアレンジした柱書きを見た(図4.21)。

2005年1月22日 三上喜貴

[1] 松本信弘:『ベトナム民族小史』,p.118,岩波新書,1969年.
[2] 前掲書,p.112.

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